平成30年 ( 2018年 ) 第42回

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1977年 ( 昭和52年 ) に 市民が 主役の 新しい祭り、テーマは 「 緑と花と音楽のあふれる都市へ 」で始まった ♪
『 ひろしまフラワーフェスティバル 』も42回目を迎えます。

1975年 ( 昭和50年 ) に、平和大通りにて広島東洋カープのセントラル・リーグ優勝パレードが行われ 当時としては驚異的な30万人を動員。
これに後押しされ、既に平和大通り一帯を会場にした新しい祭りの構想を練っていた中国新聞社が中心となり商工会や市側と折衝を重ね、 1977年 ( 昭和52年 ) に 初開催。 3日間で 計125万人を集めて 大成功を収めた。

この『 ひろしまフラワーフェスティバル 』には、知られざる物語があった。

平成11年(1999年)、僕はひろしまメディアステーションという大型映像媒体事業をスタートさせたのだが、中国新聞社を訪問して ある上層部の方と 話をしていた時に その話を聞いた。
「今年でもう23回目になるんやね~!でもここまでやれば、一朗氏も草葉の陰で喜んどるじゃろ~。」
「そやね~、あんだけ望んどったんじゃけ~。でもみんなもよ~やったよ!ねぇ」...

昭和44年(1969年)の中国新聞の新入社員は計45人、その中に当時の社長の長男である 山本 一朗氏 がいた。 慶応大の恩師の勧めもあって米国留学を希望したが、大切な後継ぎである。 まず入社してほしいと頼んだ。悩んだらしいが 筆記試験や面接を受けて堂々と入社した。 身長176センチ、体重は100キロを超える 恰幅かっぷくの持ち主だった。 真面目で 温かい人柄で、居るだけで みんなが 和む様な存在 だったらしい。 その一朗氏が 29歳という若さで 髄膜脳炎のため 亡くなった。 通夜の晩、同僚たちが 心を放って泣いた。 これ以上の悲しみはないと思ったら肝が据わったという。 同席していたみんなが、「一朗の代わりにやり遂げなければならない」と思ったらしい。
当時、総合企画室計画担当部長だった 一朗氏は、広島のために ぜひつくっておきたい と思うことがあった。 一つは 祭りであった。 氏が書き残した ノートによると、平和の尊さと 喜びを 市民が 分かち合い、地域社会に 定着させたいというものだった。

広島は 原爆の被害を受けた 8月は 敬虔けいけんな祈りの「静」の月でありたい。しかし 30年たった。
5月は平和の尊さと生きていることを喜び合う「動」の月であってよいのではないか。 だから、この祭りは国際的な広がりを持ち、市民が主役と、そこまでを想像していた。
展開する場所は 平和大通り、ここを 何日間か 交通遮断して 行うというものだ。

宮沢弘知事に話したり、本社の大下米造事業局長や、中国放送の金井宏一郎氏を中心に 国内外の祭りの資料を 集めたり 討議を重ねたりしていた。
後に中国放送社長を務めた金井宏一郎氏は言う。「共に東京支社勤務のころから広島に新しい祭りを、と構想を練った。 一朗氏は、広島東洋カープの1975年の初優勝パレードがある前から平和大通り一帯を会場に唱えていた」
一朗氏の四十九日の席上、宮沢知事や誰彼から祭りをやりたがっていたことが披露された。 あとで荒木武広島市長が、その話を詳しく聞かせろと言ってきた。
そこで治朗氏(次男で当時は事業部次長、現会長)が会い、祭りの趣旨や展開のあらましを説明した。 治朗氏は全力で取り組み、一朗氏のノートを基に企画書をつくり、県警とも交渉した。 「フラワーフェスティバル」という名称はノートに書き留めてあったらしい。
県側は割に積極的だったが、荒木市長は「走りすぎるな」と慎重だったという。 9月14日、広島商工会議所で知事、市長、山田克彦会頭(広島銀行副頭取)らと会談を開き、ようやく来年5月に開くことで一致をみて記者発表した。
とにかく未経験の新分野であり、いろんな思惑があった。 実質的には中国新聞と中国放送の仕掛け(経費を両社で2500万円ずつ負担)だから、広島財界もマスコミ界も協力的とはいかなかった。 自衛隊音楽隊が参加するのを攻撃的に取り上げられたりした。

第1回(1977年)のFFが迫るに連れ、突き詰めた気持ちに追い込まれていた。
それだけに5月3日の初日、快晴の会場に、何万人もの市民が早くから楽しそうに集まってくれていた時の喜びは 感無量だったらしい。
そしていよいよ、花の塔に平和の灯をつけ、「フラワーフェスティバル」は...黙とうで 始まった。
テーマソング「花ぐるま」を 佐良直美が歌い、スペシャルゲストのアグネス・ラム(ハワイ出身のアイドル)に群衆が殺到した。 花車のパレードに乗ると出発から到着まで2時間以上もかかった...3日間で計125万人が集まった...大成功だった。

...僕自身、若い時から 色んな方々とお会いして色んな話を聞いてきたけれど、何かを成し遂げる時...必ずそれは一つのドラマになっている。 一期一会、人間っていいな、人生っていいな...と思う。 この話も 当事者の方から 直接聞けたことに 感謝します。
話を聞きながら そのまなざしを 見ていると 遂 あのシーンを 思い出しました(笑)


近年、ひろしまフラワーフェスティバルは、観覧者数 160万人を 超えている。

詳細は 2018ひろしまフラワーフェスティバル公式サイト



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まっちゃん

お客様も “ 営業マンビジネスマン ” も、同じ生身の人間です。 その狭間にあるインターネットは、両者をつなぐ回線であり...単なるツールです (笑)
僕ら 営業マンビジネスマン が “ 営業マンビジネスマン ” である為に...
結果を出せる 営業マンビジネスマン プラス プログラマーとシステムエンジニアの中間位?のスキル プラス 社外秘 イコール営業マンビジネスマンNeo ” という 妄想の 一つ一つを具現化しています。
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